TR's野球遍歴

 TRが野球をやり始めたのは小学校1年生の頃。
以来ずっと何だかんだと野球に携わってます。

【幼少時代】
 初めてボールを触ったのはいつだったか?
 父親の影響で物心付いた時には既に遊びといえば「野球」となっていました。
 当時はJリーグもなく、子供の好きなスポーツといえば野球しか無く、友達と集まれば近くの公園でボールを追っかけてました。
 この頃は父親とキャッチボールをしても送球の強さに泣き、顔にボールを当てて泣き・・・・。

【少年野球】
 

 小学校4年生になり、校区のスポーツ少年団に入部。
 6年生の時は一応セカンドのレギュラーとなりました。
 打順は・・・・何番だったかな?
 身長も低く、どちらかといえば1〜2番タイプだったのかなぁ。

 市内の他校区に強いチームがあり、そこには全く歯が立たず、万年”2〜3位”の弱小チームでした。

 でも今に至るまで私の「野球」の原点であり、思えばこの3年間が基礎となった様です。

 この頃は今と違って試合でもヘルメットは被らず、バットといえば木製バット。(Mizunoの"圧縮バット"が流行)
 キャッチャーもプロテクターもレガースも無し。
 当時の子供は強かったんやなぁとしみじみ思います。

【中学時代】
 

 中学に入学し、迷わず野球部に入部。
 少年野球ではレギュラーでしたが当然他チームの選手も入部してきたため、一気に"3番目のセカンド"へ降格。(涙)

 当時は中学校から上下関係は厳しく、先輩の機嫌が悪ければ「オマエら走ってこいっ!」という一声で学校横の1周800mの周回コースを10周走らせられたり・・・・。
 また今と違って「何練習中に水飲んでんねんっ!」と怒られる様な時代だったので、下っ端の頃は「練習中、如何にして水を飲むか?」を練習中は常に考え、友達と知恵を出してキャッチボールの時に事前に決めていた「暴投するぞ」んサインでわざと暴投し、ボールを探しに行くフリをして事前に隠していた「凍らしたタオル」の水を吸い、またプールの排水も「消毒済やから大丈夫!」とガバガバ飲んだり・・・。
 周回コースを走る時も先輩の目が届かない所で道路脇の畑に飛び降り、植えてあったトマトを食べたりと、まるで「サバイバルゲーム」のような感じでした。

 結局3年間、レギュラーとは縁遠かったでしたが、この時の厳しさが後の高校野球へとつながります。

【高校時代】
 

 県内の公立高校に進学し、これまた一切迷わずに野球部に入部。硬式球に始めて触れます。
 上下関係は中学以上、更には球が体に当たればその痛さに七転八倒・・・。
 守備位置は1年のみレフトで後はセカンド。
 2年生の新チーム発足からその冬までは一応レギュラーでしたが、3年の春になると腰、手首の故障もあってチームメイトに追い抜かれ・・・。

 練習は中学時代とは比較にならず、「殺されるんじゃないか?」と思うくらい超ハード。特に冬場は陸上部並みに走ってばっかり。
 おかげでこの頃は1日7食食べても体重は56kg。常にお腹が空いてました。
 
 3年生最後の夏の大会。目標は「創部8年目の初勝利」で臨みました。
 1回戦は格下チームに序盤の大量得点をじわじわと追い上げられ、終わってみれば1点差で逃げ切り、2回戦はシード校にまさかのサヨナラ勝ち、3、4回戦はピッチャーの踏ん張りで勝ち進み、気が付けば決勝戦!
 試合は延長戦にもつれ込み、結果はサヨナラ負けの準優勝。
 試合後、”悔しかった”というより、何故か”ホッとした”事で泣いた記憶があります。

 華々しい高校野球生活とはなりませんでしたが、今になってもあの厳しい練習や理不尽(?)な上下関係に3年間耐えて続けた事は今でも私の誇りであり、またこの経験が以降の人生全てに繋がっています。

【大学時代】

 大学に進学。サークルは野球とはほど遠い技術系サークルへ入部。
 しかし野球に関してはなかなか頭から離れる事が出来ず、空いた時間に友人と学校のグラウンドでキャッチボールなんかをしてました。
 学校が鹿児島だったので秋や春先にはプロ野球のキャンプを見に鹿児島市内や宮崎県内に行きました。(ファールボールを地元の幼稚園児と取り合ったのも今となっては良い思い出・・・大人げない?)

 また阪神戦の中継もラジオはおろかTVでもやっていなかったので、近くの山の展望台に車を走らせ、カーラジオのチューニングを遠く関西の放送局に合わせ聞いた思い出があります。

【社会人】

 平成5年に今の会社に入社。
 会社に草野球のチームがあるという事で早速入部します。(空港のテナントではかなりの強豪)
 会社と配属先の2チーム掛け持ちで、最初の1年半はそこそこ試合もありましたが、平成8年に会社自体が大転換期を迎え社員数が減少。勤務変更もままならず、試合をするにも人数が揃わなくなり自然消滅。
 その後会社のソフトボールチームにも入りますがこちらも同様に数年で消滅。
 
 最近、社内で若手が「チームを作る」と言い始め、「そんならオレも入れろ!」と言ってますが実現までにはまだまだ時間が掛かるようで・・・

【現在】


 息子が校区の少年野球チームに入部したのを機に私ももれなく「お父さんコーチ」として参加。
 コーチ陣は結構「好き者」ばっかりなので必然的に「お父さんチーム」も設立。ちょこちょこ試合に出ておりました。
 横浜へ引っ越したら引っ越したでこちらの少年野球チームにもお父さんチームが存在。さっそく入れてもらい、多い時は年間20試合ををこなしました。
 守備位置はほとんどがキャッチャー。何故か今頃になって打撃が絶好調。2008年は11試合で.433!
 おかげで子供より野球用品が充実しております。

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